さよならリアリティ:ある寓話 [駄文]

・エネルギーの喪失(6月)

その日は突然やってきた。六月の半ばも過ぎた頃である。

朝、起きる。違和感。何かが違う。とても疲れている。電池が切れたような気分。

何をするにも疲れる。眠っても疲れは取れない。そんな日が続く。ひたすら疲労感に満ちている。

何もする気が起きない。やる気がない、というレベルのものではない。手が付かない。何かを自発的に始めようという気になれないのだ。椅子に座ったまま、布団に寝転がったまま、時間が過ぎていく。

メールが書けない。文章が書けない。とにかく頭が回らない。人の話が理解できない。言葉が出てこない。覚えていられない。決断することができない。

何もしたくない。パソコンに触れるのすら嫌だ。

やりたいことができなくてつらい。エネルギーがないのだ。やりたいことはあるはずなのに、それに取り組むことができない。

 

・大変申し訳ございません(7~8月)

頭が回らない状態が続いている。眠りが浅い。気分が暗くなる。

理由のない恐怖に襲われる。あるいは不安。明確とした理由もないのにただ恐ろしい。

眠れなくなる。寝付きが悪い。夜中に何度も目が醒める。ベッドのきしみで目が醒める。カーテンのわずかな隙間から洩れた光で目が醒める。朦朧と覚醒と睡眠の間を漂う。

一日中動けない。ただ、今この瞬間が過ぎ去って欲しいと願い続ける。いくら横になっていても眠りは訪れない。じりじりと炙られるような朦朧がやってくるだけである。朝、目は早く醒め、夜は寝付けない。

そのうちに、随分と申し訳ない気分になってきた。どうして自分は他人に迷惑をかけてばかりいるのか。どうして自分はあたら人生の時間を浪費してしまったのか。なぜチャンスがあったのに安定した職業についていないのか。なぜもっと頑張らなかったのか。何もかも間違っていた気がする。結局自分は張り子の虎で、能力もないのにある振りをして周囲の人間をずっと騙してきたのではないのか。そうだ、周りの人をずっと騙してきたのだ。

ありとあらゆるものに対して申し訳ない気持ちに満たされる。同時に、他者と関わるのが恐ろしくてたまらなくなる。

 

・色のない日々(9月~)

感情が喪失した。何もする気が起きない。かといって暗い気分でもない。

ただひたすらフラットな気分である。何をしても楽しいという気持ちが湧いてこない。反面、思考がひたすらに暗い未来を指し示しても何も感じない。

ものを見ても、かつてそれを見て覚えたような感情が想起されない。絵を観ても音楽を聴いても、心は動かない。ただわずらわしいだけである。色々な記憶を呼び起こしても、それらは輝きを失っている。他人事なのだ。

人に会っても、その人に対して抱いていたはずの好もしい感情jは現れない。何も感じない。ゆえに、どう振る舞って良いのかわからない。ひどく恐ろしい。

私はもう自分ではないのだ、という確信めいたひらめきが思考を支配する。

自分はもう過去の自分ではないのに、他者は過去の自分のままだと思って自分に接してくる。それがつらい。過去にできたことはもはや何もできないのだ。ここにいるのは私の形をした別人なのだと言い訳したくなる。頭は回らない。表情は生硬。歩く死人だ。

 

・現状

現在、療養および治療の甲斐あってか、少しずつ人間性を回復しつつあるし、ほんのわずかにではあるが、感情の動きみたいなものも戻り始めている。社会復帰に向けてリハビリを始めてもいる(勿論上記に書いたようなどん底の状態と比べてであって、復旧とまではなかなかいかない。その上、身分が不安定なままで不安はたえない)

読書もできるようになったし、一日一本くらいなら映画をみることもできるようになった。

そうはいっても、大部分の機能はまだ失われたままで、現実を把握する際にもどうにも精彩の欠けたフィルムを観ている感はぬぐえない。何より、音楽を聴いてもいまだに楽しめないのは自分にとって非常に寂しい。回復に関しては、時が全てを解決する、というわけでもないが、まあ人事を尽くしつつ祈って待つより他あるまい。

 

今回どうしてこんな文章を書いたかというと、こういった文章を書けるまでは回復した、という一段落の報告と、迷惑&心配をおかけした関係各所への説明、という意味合いが大きい。すいません、こんな感じだったんです、と。

いつかリアリティが回復する日が来ることを祈りつつ、それではまた。


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