記事のタイトルを入力して欲しい [雑記(近況報告)]

世間ではもう12月が来ましたね。

すっかり冬の候ではありますが、特に意味もなく「部屋のストーブをつけないトライアル」を続けております(断熱機構が発達しているので意外に問題がない)。別に、しようと思ってしているわけでもないので、やめようと思ったときにやめるのでしょう。

2015年を振り返ると、公募に応募したりなんかしたりして案外生産的ではありました。同人誌なども出しました。人と組んでゲームなんてものも作っていたりします(@bit_bad_company)。作曲したりシナリオ書いたり諸々。
人と組むことの良い点は、自分自身が推進力を持っていなくてもいいということであります。私のやる気は人を動かすほどの推進力がありませんで、大変楽をさせていただいています。

昨年も私の人生における結節点ではありましたが、今年もまたこれ以上にないというくらい折れ曲がった年であったように思います。どこかに向かおうとして、どこにも到着しない。果たして人生というものは螺旋を描いているものかしら。

海の波というものは、あれは縦方向の動きが横に伝わっているだけだといいます。海水は垂直方向の動きを繰り返すだけで、水平方向に移動しているわけではないのです(海面に漂うビニール袋のようなものを想像していただきたい。波があっても、流れがなければ移動していかないでしょう?)

今年は久方ぶりに文芸活動に精を出して何編か短篇を上げたわけでした。大学生時代から長期にわたって罹っていた文学的熱的死の状態から回復したわけです。いったい何が手がかりであったか、と思うと「意味」というものに頓着しなくなったという点があるかなぁと思います。
これまでは作品の構成に必要のないものはなるたけ入れたくない、と思っていたわけですが、その制約を取っ払った、つまり必要のないものもガンガン入れろ――とまでは参りませんが、まあ必要かどうかは後で考えるぐらいにしたのです。その結果、文学的閉塞状態からなんとか形式上は抜けだし、随分久方ぶりの新作ができあがった次第です。
作品というものはある種の構築物ですから、ある意味で空間に要素を配置していく作業であるといえなくもないわけです。過去の私にはあたかも「自然は真空を嫌う」てな具合に、何もない空間というものを嫌っていて、なんとか不可欠な要素(つまり「意味」を持つ要素)のみで作品を構成したいという欲求がありました(不幸なことに、一部の作品ではそれはうまくいっているように見えました)。しかしながらその方向性を突き詰めると生憎のことに作品そのものが完成する前に窒息してしまう――という自己破壊的な運命を同時に抱えていました。
今回はその「不可欠な要素」の定義を若干緩めたおかげで、作品が窒息せずに無事に完成することにあいなったわけです。一見「無駄」な空間が必要だった、とでもいうのでしょうか。
だけれども、この規制緩和はあまり進めすぎないように注意をしようとは思っています。この文章のように、とりとめがなくなりすぎますからね。

こうして私の2015年は暮れていくのです。

全ては徒然なるままに。


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