小説のこと [駄文]
ふと思い立って、即興小説トレーニングなどというものをはじめてみた。
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今でこそ音楽畑にいるけれども、昔の自分は文芸畑の人間だった。
僕が中学生だった頃はインターネットというものがまだ選ばれた少数の人のものだったし、CDやカセットをたくさん買えるというような環境にもなかったので、音楽にはあまり触れることはなかった。ゲームは好きだったけど、これまた数買えるというものでもなかったので四六時中やっていたというわけではない。辺境の地には娯楽もなく、加えて運動も勉強も人付き合いも面倒、となれば勢い時間をもてあます。
だからまあ、本ばかり読んでいた。中高生向けという区分もあまりなかったような時代だったので自分の興味に合った本を適当に探して読んでいた。ネットで検索するという行為も一般的でなかったから、膚に合う作家を見つけてはその人の著書を探して読んでいた。
どうして小説を書きたいなどと思いはじめたのかはよく覚えていないけれど、中学生の終わり頃には何か自分でもそういうものが書けたら楽しいだろうな、というのを漠然と思うようになっていた。
実際に書き始めたのは、PCが導入されたのが大きい。何分字が汚かったのもあるけれど、文明の利器を手にした高揚感的なものも少なからずあったかもしれない。
そうやって熱に浮かされながら書いた最初期の小説は1200字原稿にして120枚以上という長大なものとなったけれども、結局途中で破綻し、不世出の未完の傑作としてハードディスクの底で永遠に眠り続けている。
高校の頃はあてどもなく文字を書いては放り投げ、というのを繰り返して、結局完結しているのはほんの数編の短篇しかない(それらは一応ここで読める)。書けば書くほどに書くのが苦手になっていくという感じで、目標は高くなっていくのに対して能力が上がらない。そのうちに、ほとんど文章というものが書けなくなってしまった(代わりにはじめてみたのが作曲で~というのはまた別の話)。
忙しく日々を過ごしていくうちに、あんなに読書が好きだった少年もいつのまにか本を集めるだけの生き物に成り果ててしまった。文章をタイプするだけで喜んでいたのに、今では自分の書いた文章の切れ端を読み返してはため息をつくようになってしまった。文芸とはいつのまにか疎遠になってしまったようだ。
だが、文芸に関する想いが断ち切れてしまったかというと、そうではない。小説を買い続けるのも単なる惰性以上のものがきっとあるのだろうし、幻滅しながら自分の書いた文章を読み返すのも、創作への想いがくすぶり続けているからだ。
だから、今一度、書く練習というのを始めてみよう思う。
上手いものは書けないだろうし、小洒落たオチなんてものは到底つけられないだろう。評価に値するレベルになるまでには随分時間がかかるだろう。そもそもそこまで到達できるかすらわからない。だが、書き始めずに完成するなんてことはあり得ない。
未練がましいだけなのかもしれない。過去の想い出にすがっているだけなのかもしれない。それでも書きたいという想いは強い。駄文を書き散らすことによってしか癒されない渇きというのもおそらくあるのだろう。それを少しでも緩和するために、何か少しでも前に進むための行動をとろうと思う。
まあ、三日坊主かもしれないけどさ。
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過去の断片や即興小説を完成させたものは
http://noctphaeism.tumblr.com/
に置いていく予定。
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